徳川家康が築城してから、将軍の上洛は、家光で途切れる。家光は、後水尾天皇のため改修など行った。本丸御殿は店名の大火(1788年)で焼けたが再建されなかった。慶喜が大政奉還後立ち去った後、京都府庁(1871~1884)、その後、離宮とされ(1884~1931)、京都御苑から旧桂宮邸が移される。
そして、現在、京都市へと移管されている。二条城の辿った道は、興味深い。
東大手門から入り、唐門をさらに入り、二の丸御殿へ。

二の丸御殿から、二の丸庭園へ。小堀遠州の監修のもと作ったということだが、何度も改修され、元々の様子とは違ってきているということだ。



本丸御殿は、改修中のため、見ることが出来なかった。
障壁画の展示収蔵館も見ることが出来なかったのは、残念。